城崎とこうのとり|城崎温泉つばきの旅館

城崎とこうのとり
城崎温泉とコウノトリ

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城崎温泉の歩み

 城崎温泉は山深く冬のながい但馬地方の中にあって、古くから著名な温泉地として栄えてまいりました。


 城崎温泉は、約1400年もの古い歴史を持つといわれ、こうのとりが傷を癒したと伝えられる鴻の湯、道智上人が難病治療を願って曼陀羅を修めて掘りあてたと伝えられる曼陀羅湯の2つの温泉の発祥がそれを物語っています。平安時代の古今和歌集に「但馬の国の湯へまかりける時、二見の浦と云う所にとまりて・・・」(藤原阿法師)とあるように、すでに1000年以上も前から都の貴人がはるばる城崎の温泉に赴いていたことが明らかにされています。

 

 その後、江戸時代になると温泉医学を大成した香川修徳が城崎温泉の新湯を日本一の湯と推賞したりしたことによって城崎温泉の名声は大いに高まり、多くのお客様が来湯するようになって、宿屋も発生しました。宿屋は、その後次第に数も増して、幕末には宿屋組合(現:城崎温泉旅館組合)も組織され、63軒が官許されました。

 明治に入って、日清・日露両戦争の影響を受け、不振な時を迎えたものの、その後の日本経済の好景気と明治43年の山陰本線の開通によって、城崎温泉は、京都ばかりでなく、広く阪神その他の地方からも宿泊客を迎え入れる、日本屈指の温泉地として、その礎を築きました。文豪志賀直哉がこの地を訪れ、有名な「城の崎にて」を書いたのは大正2年のことでありました。

 こうして発展してきた城崎温泉にとってもっとも決定的な出来事は、大正14年に発生した北但大震災でした。北但大震災は、温泉市街地を見る影もなく壊滅しました。しかし町民の努力によって、市街地の復興は驚くべき速さで進められました。大谿川を骨格とする温泉街づくりは区画整理事業によってなされましたが、和風を基調とした町並み景観や街路景観、外湯のイメージアップ、防災的市街地の形成などが重視され、三方が山に囲まれた山間地にあって、まとまりある落ち着いた雰囲気の市街地が形成されて、以前にも増して城崎温泉の名声を世に広めました。

 

 こうした歴史的背景と共に城崎温泉は地域の人々と共に歩んでまいりました。色々なものが発展していく、この現代社会において、柳並木の風情ある町並みを、手拭い下げて浴衣でぶらりぶらり歩く。そんな「古き良きもの」を残し、城崎温泉はゆっくりと時を刻んでいくことでしょう・・・

 



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